初めての日記の記載:
ドリームスペル Kin 114:白い惑星の魔法使い
13の月の日付で律動のトカゲの月26日
こんにちは,みなさん。
今は、この惑星の大いなる変化の時です。私にとって変化とは、生きていく中で姿を現わす命の偉大なる神秘に対する好奇心とともに、心を開いた状態にし続けることを意味します。私はちょうど、継娘とその6歳と3歳になる子供たちを含めた、自分の子供たちと過ごす時間を終えたところでした。子供たちの中に見る命の質、あの子たちが存在しているというすばらしい感覚が、私を励ましてくれています。
休日が終わり、明日仕事に戻るのですが、私は健康と自活できる力に恵まれているんだなと思います。自分の住む街で、仕事場にも、いちばん便利な場所にも歩いていけるという理想的な生活環境にあります。私の住居はこの街のグリーン・アウェアネスの模範にされている中程度所得者の住宅計画のひとつです。
2007年1月8日(月)午後11時1分更新
私の祖母は、「おばあちゃんのキス」で私にとっていちばん忘れられない人です。おばあちゃんのキスは、ナイフに乗せて砂糖をまぶしたひとかたまりのバターでできていて、私たちが祖母の台所に入って行こうとするときはいつも、陽気に行われることでした。祖母は子供たちを育てているあいだはサンフランシスコに住んでいて、末の娘が私の母マヤでした。祖母夫婦は,ハイウェイ101号のすぐそばにあるカリフォルニアのミル・バレーに避暑用の家を建てました。
私は、祖母の避暑用の小屋のひとつで生まれました。父ロイドが第二次大戦中アメリカ海軍の建設大隊に入隊したとき、母はそこに生活しにきていたのです。私は実際、おばあちゃんのキスがいつから始まったのか正確には知らないのですが、私が2歳になって、父が戦争から戻ったときに、祖母の家から引越したのは覚えています。
父が戻って3年のうちに、私たちは異母姉、私、すぐ下に弟と妹の、4人兄妹の家族になりました。ときどき祖母の家に泊まりに行ったのを覚えています。祖母の鏡台がいちばん私を魅了しました。美しい銀の手鏡とお揃いのブラシとくし。私はいまだに祖母の愛を体感できます。祖母はすばらしい庭師で、訪ねて行ったときはいつも、私たちのために食べ物を用意してくれていました。
実際、私たちは妹が生まれるまで、母の避暑用の小屋の敷地内に住んでいました。おばあちゃんのアパートは敷地の最上部にありました。建物の作りはすべてカリフォルニア式でした。集中暖房はなく、天然材がたくさん・・・杉の壁板と美しいセコイアの室内の壁板。その敷地を離れたあと、私たち家族はホームステッド・バレーに住み、祖母の家を訪ねるのにかなりの距離を車で運転していかなければなりませんでした。
その後、私が中学生のときには、祖母の家までハイウェイ101号の陸橋を渡って実際に歩いて行くことができました。そのときもまだ、祖母はおばあちゃんのキスをしてくれました。
おばあちゃんが死んだ日:
ある日の午後、学校から帰ってくると、おばちゃんの車が私道に停まっているのに気づきました。そして,おじとおば,それに私の母がみんなで祖母を運んで、うちへの階段を降りているのを見ました。いちばん普通でない光景でした、3人は、うちの古い車庫にしまってあった大きなふくれた椅子で祖母を運んでいたのですから。
私はすぐさまみんなの顔に心配の気配を感じ取りました。「おばあちゃんはインフルエンザにかかって、具合が良くないのよ」と3人は私に言いました。祖母を両親の寝室に運び込むと、主治医に電話をしました。それからお医者さんが到着したあと、私たちはおばあちゃんが脳卒中を患っていたのだと知らされました。私たちは,祖母に会うよう呼ばれました。祖母は両親のベッドに静かに横たわっていました。
私は先生が大きな肘掛け椅子に座って祖母の手を握っていたのを見たので、寝室のすぐ外でとても注意深い様子でいました。みんなが、呼吸できるように祖母を椅子に座らせるのを手伝いました。そして,その時が来ました,臨終の際に喉が鳴る音、それが祖母の最後の呼吸の音でした。おばあちゃんは穏やかに亡くなりました。両親の寝室のちょうどそこで、私の家で。
私はいつも、こんなふうに自然に死と接することができたのを感謝していました。年月が経ち、私の妹が33歳で癌で亡くなったときも、父や、私の霊的な教師、そしてついには継息子が18歳で亡くなったときも、全員が同じ宿命的な年1987年に亡くなったのですが、そのことが私を助けてくれました。
仏教では、死を忘れず、死を熟考することが大切だと言われています・・・
「死は現実であり、前触れもなくやってきて、いずれこの体も死体となるだろう」
目が覚めて、まだ生きていることに感謝し、我が身に何が起ころうと受入れる覚悟をする、そんな1日1日が私を謙虚にしています。
2007年1月7日(日)午後2時6分投稿
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- 2007/11/22(木) 23:48:22|
- 日記|